【コラム】Vol.45 伝説の画廊・ボザール・ミューを覚えていてください

猫に関するあれやこれや

Vol.45 伝説の画廊・ボザール・ミューを覚えていてください

日本で最初の猫専門画廊「ボザール・ミュー」。その歴史に幕を閉じたとき、猫を愛し、猫美術を愛した女主人・宮地延江さんの思いを引き継いだのが、画家たちを中心とした猫美術愛好会「ミューミュー倶楽部」です。このたび、その役目を終えた事務局お店連は解散し、それぞれの画業に専念することとなりました。そして、先日、お店連による最後のグループ展『ラストダンスは銀座で』が開催されました。
猫とも新聞にとっても、創刊当時からお世話になり、意味深い画廊でしたので、皆さまにもいつまでも覚えていてほしいと思い、今月は、2024年1月号(通巻163号)を加筆訂正して、、この素晴らしい画廊のことをご紹介します。

今は伝説となったボザール・ミュー

猫専門画廊「ボザール・ミュー」は、1984年、銀座に誕生しました。資生堂本社ビルの隣にあるという好立地でしたが、古き良き時代の面影を残す銀座の路地は、方向音痴にはいささかハードルが高め。何度行っても迷ってばかりの編集部に、画廊主人の宮地延江さんに、「〝猫の人〟はみんなそうよ。この画廊に、たまに〝犬の人〟もいらっしゃるけれど、たいがい〝猫の人〟の道案内役としてなのよ」と笑いながら慰められたことを思い出します。

思えば、画廊に集えば、作家もお客様もみな猫談義に花を咲かせるサロンのような空間でした。みな〝猫の人〟でした。
画廊に展示される作品は、すべて宮地さんのお眼鏡にかなった〝ミュー好み〟の猫美術のみ。なかでも、常連であった北田浩子、中島祥子、目羅健嗣の3氏は、ボザール・ミューを代表する画家であるとともに、今も猫美術界に欠かせない存在だ。

とはいえ、開廊当初は、猫を描いた作品が少なく、ヨーロッパを巡って作品を買い付けたといいます。「そもそも猫専門の画廊なんて立ちゆくはずがない、やめておけといわれたものですよ」と、宮地さんは、弊誌のインタビューでお話しくださいました。銀座への出展も「〝有閑奥様のお遊び〟なんて言われたくなかったので、本気を見せるために銀座にこだわったんです」とも話されていましたっけ。
宮地さんは、元々広告業界で働くキャリアウーマンで、かの「リカちゃん電話」のスクリプトも手がけた方。

やがて、猫を専門に描く作家も増え、同画廊は猫美術の聖地となりました。
2013年、宮地さんがご高齢のため、惜しまれながらボザール・ミューが閉廊となったとき、前述の3人を含む作家たちが同じ場所で猫専門美術ギャラリー&ショップ「シャトン・ド・ミュー」としてバトンを引き継ぎました。画廊の名は〝ミューの仔猫たち〟を意味します。同画廊は2015年まで続けられ、その後、『ノラネコ宣言』をして画廊を閉じ、拠点を持たない猫美術愛好会「ミューミュー倶楽部」と姿を変えました。
同俱楽部では、会報誌を発行するとともに、毎年、展覧会とお茶会を開催して、ボザール・ミューの伝統と文化を守ってきたのですが、この度、事務局お店連を解散する運びとなりました。画廊主人の宮地さんがご逝去され、その追悼本を刊行して、いったん役目を終えたのです。

取材に伺うと、いつも穏やかに微笑んでおられ、猫のこと、猫美術のことをあれこれと教えてくださった宮地さんですが、画家たちには厳しい面もあったと聞いています。目羅健嗣さんなど、初めて作品を持ち込んだときはけんもほろろだったとか。猫美術に関しては妥協を赦さない人でした。解散となったお店連の今後の使命は、〝ミュー好み〟と呼ばれる質の高い猫美術の継承と発展だと思われます。
その地脈には、猫美術の聖地として大きくその発展に寄与した画廊「ボザール・ミュー」があったことがをどうか覚えておいてほしいと切に願います。

記事協力 / 猫とも新聞
2023年12月22日更新

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